表紙からスターが消えた日

 1999年4月のある日、僕は夜行高速バスに乗って大阪に向かった。もちろんムラへ行く為である。この時はいつも以上にワクワクしていた。それは23年ぶりに「ノバ・ボサ・ノバ」が再演されるからであった。ひさしぶりに本拠地、宝塚の街に来た嬉しさで御機嫌であった。大劇場のロビーに入って、さっプログラム買おうとカウンターへ向かった。あれっない!カウンターの上には写真集か何かの出版物しか置いていなかった。おねえさんに「プログラムは?」おねえさん「こちらですけど....」「はっ?.......これがプログラム?!」光沢のある黒い表紙の中央にカラフルな絵が書いてあるような地味な表紙のやつがプログラムでした。「なんじゃこりゃ〜〜〜っ」宝塚のプログラムといえば、ずっとトップスターのアップの写真が表紙と決まっていたのに。それが、まるで化粧品のパンフレットのような表紙にしやがった。もうほんとにカウンターの前で呆然としてしまった。値段を見てまたビックリ「せっ....1000円!」あまりにもショックで僕はプログラムを買わなかった。

 僕みたいに宝塚のプログラムを集めていると、その表紙にスターの移り変わりを見て楽しんでいるのである。あくまでも憶測だが、トップになったスターが、初めて表紙を飾ったプログラムを見た時は感慨無量だったのではないだろうか?ファンだって自分の御贔屓スターが表紙に載った時の喜びを覚えているだろう。そんな歴史や喜びを歌劇団は奪ってしまったのだ。良くも悪くも宝塚らしかったプログラムを、一般ミュージカルと同じような個性のないプログラムにしてしまった。たしかにスターの写真は中に載っている。でもそれでは意味が全然ちがう。今じゃ下級生の写真までカラーで、稽古風景や、作品の内容と関係ないスターのグラビアまで載っていたり、そのくせ脚本を割愛してしまって、もうこうなるとただの雑誌である。オールドファンの粋にはいる自分としては、このプログラムの大改革は許せないものがあった。

 逆に言えば、ある意味でこの大改革はわからなくもない。公演の帰り、あのコテコテ舞台化粧のスターが表紙のプログラムをそのまま手に持って歩くのは結構はずかしかった。電車の中で読みたくても広げられなかったし。宝塚ファンならともかく、一般の人にとっては、ちょっと趣味悪いプログラムだったのかもしれない。でも宝塚は普通のミュージカル興行とは別物で良かったんじゃないかなあ?悪趣味は悪趣味で独特の魅力があったような気がする。センスは良くなったかもしれないが、まるで協調性がない東宝ミュージカルなどと変わりなくなっちゃったような、ユニークさがなくなっちゃった感じがしてならない。

 宝塚の駅前も今ではビルが立ち並び、昔の温泉街の雰囲気はもはやない。大劇場も新しくなった今、宝塚歌劇も、<遊園地にあるアトラクションショー><観光地の見せ物>的な感覚はなくなった。おしゃれな西洋風の赤い屋根の劇場でおこなわれるものは、かつての親しみやすい「大衆娯楽」ではなく、「私たちは芸術をやっています」という雰囲気のものになってしまった感じさえする。プログラムの表紙がコテコテのスターの写真から、上品なデザインの表紙になったのも、この流れに比例してのことなのかもしれない。

 プログラムの表紙からスターが消えてからもう10年ちかく過ぎた。あれほど抵抗を覚えたプログラムだが、今では怒りも治まり、これはこれかなとも思えるようになってしまった。綺麗で洗練された宝塚の街も、今のジェンヌも良いのだが、どこかあか抜けない、あの大衆的な、でもキョーレツな個性の強い昔の宝塚が恋しくなってしまうのです。この調子だと、その内歌劇せんべいも街から消えてしまうかもしれない。

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