宝塚レコードの歴史

SPレコードの時代 

 レコードは大正3年の宝塚の初公演からすでに作られていたらしい。ニッポノホン、ポリドールなど、いくつかのレーベルから発売されましたが、昭和2年の「モンパリ」あたりからコロムビアに定着します。当時はまだ78回転のSP盤の時代なので片面1曲づつしか収録できなかった。現在のような実況録音盤が発売されるのはレコード技術が発達してLPの時代になってからです。余談だが、この頃松竹歌劇団の主題歌の発売もコロムビアがおこなっていました。

SP盤からシングル盤へ 

 昭和23年(1948年)にアメリカで33回転LPレコードが登場。長時間の録音が可能になった。翌年45回転シングル盤も登場する。しかし、たとえば現在ビデオからDVDに移り変わろうとしているのと同じように、SP時代からLP時代に完全に交代するには時間がかかる。宝塚がSP盤から45回転シングルレコードに切り替るのは、なんとシングル盤登場から10年後の昭和33年(1958年)で、「望郷の琵琶歌」が最初のようである。

             最初の実況録音LP            

 昭和36年(1961年)2月、最初の実況録音LP「華麗なる千拍子」が発売される。この頃はモノラル盤からステレオ盤になる変換期で、ステレオ盤をちゃんと再生するにはステレオのプレイヤーが必要であった。しかし当時はステレオは高価だったので、家庭によっては旧式のモノラル再生用プレイヤーしかない為、「華麗なる千拍子」は最初の発売のモノラルとは別にスレテオ版も発売された。ステレオ版のが200円高い1200円でした。しばらくすると、すべてのレコードがモノラルからステレオに切り替ります。

 「華麗なる千拍子」のレコードは普通のLPよりひとまわり小さい10インチ盤でしたが、最初に発売された12インチ実況録音のレコードは昭和38年(1963年)4月「タカラジェンヌに栄光あれ!」である。

コロムビアから東宝レコードへ

 こうして1960年代はコロムビアが実況録音LP、主題歌シングル盤を発売してきました。当時発売されるLPは年に4〜5枚程度で、主題歌シングルでも全作品は発売されませんでした。

 1970年10月号の歌劇に「新発足の東宝レコード、10月新譜発売」という広告が載っていて、「夢は今も」加茂さくら/「ほしくずになる私」甲にしき/「愛のなごり」郷ちぐさの3枚が最初にリリースされている。でもこの時点ではメインである<公演の主題歌シングル>と<舞台の実況録音LP>は、まだコロムビアから発売されていました。

 1971年4月発売の「シンガーズシンガー」がコロムビアでの最後の<実況録音LP>になった。戦前からの長いコロムビア時代が終わたのである。以後同年5月「タイムマップ」から<実況録音LP>も東宝レコードから発売されるようになった。この年にLPが3枚、翌年の1972年にはたった2枚、と年間に発売される実況録音LPは3〜4枚程度という年がしばらく続くが、1975年ぐらいから発売枚数も多くなり、1976年から、ほぼ全作品の<実況録音LP>が発売されるようになった。以後、約9年間、東宝レコードの時代になる。ちょうどこの頃、第一期ベルばらブーム到来で、四天王とも四強ともいわれた、榛名由利、安奈淳、汀夏子、鳳蘭の時代なので、レコードもそれなりに売れたのではないだろうか?種類も多かったせいもあるが、今中古レコード店やオークションに出回るのはこの時代の東宝レコードである。

東宝レコードからCBSソニーへ 

 1979年11月号の「歌劇」には、「アンタレスの星」と「薔薇パニック」の実況録音LPが東宝レコードより12月中発売予定と書いてある。ところが12月号の小林公平氏の「花の道より」に、突然「今後はCBSソニーからレコードが発売される」事が書かれていて、実際その年の12月21日に「アンタレスの星」と「薔薇パニック」はCBSソニーから発売された。(主題歌のシングル盤は東宝から発売)「花の道より」の小林氏の文章の感じからすると、東宝レコード側の問題でレコード業務を打ち切ったような感じにとれる。ともあれ詳しい原因は公表されていないのだが、けっこう急な展開だったのかもしれない。CBSソニーは、東宝レコード時代に、実況録音盤以外の企画ものなどを発売していた関係もあったので、後継ぎが決まったのではないだろうか。

1980年7月号の「歌劇」誌に載った東宝レコード廃盤のお知らせ

CBSソニーからTMPへ

 1979年12月より本格的にCBSソニーからのレコード製作が動き出して間もない頃、実はTMPは静かに動き始めていた。1980年6月号の「歌劇」誌に、順みつきのリサイタル「I LOVE MUSIC」の実況LPを宝塚音楽出版Mから限定発売する予告が載っている。まるでプライベート盤のような扱いで、普通のレコード店では入手できない状況であった。その後も「虹を織る宝塚」(宝塚テーマ曲集)や「汀夏子サイタルIN PERSON」など数は少ないものの、まるでCBSソニーに遠慮しながらのように本公演と関係ないLPを限定発売のようなかたちで売り出していった。

 1982年3月号「歌劇」誌の「花の道より」で、小林公平氏が「今般種種の事情から両社の円満な了解のもとに、TMP(宝塚音楽出版)レーベルで発売されることになった」と公表しています。そして3月21日発売の「ミル星人パピーの冒険」と「魅惑」から本格的にTMPに移ります。ゆえにCBSソニーからの発売はたった2年という短期間で終わってしまった。

 上と同じ「歌劇」誌3月号の「花の道より」で小林氏は、シングル盤での主題歌の発売を中止する方針について語っています。それまで大劇場の初日に主題歌のシングル盤が発売されていたのだが、初日に間に合うように製作するには、その作品の稽古期間中、もしくはそれ以前にレコーディングする必要があり、作品の内容と深く関わる主題歌を早く録音するには問題が多く困難な為、公演ごとの発売を取り止め、その変わり年に一度それらをまとめた主題歌集のLPを出すことを述べている。これはCDになった現在も続いていて、年に一度主題歌を集めたCDが発売されています。全公演のポスターがジャケットのやつですね。

 1987年7月、峰さを理の「REMEMBER」という宝塚最初のCDがTMPから発売された。その他、高汐巴、銀あけみ、などの個人物、87年主題歌集のCD発売が続き、1988年3月、最初の公演の実況録音CD、雪組「風と共に去りぬ」がLPと両方で発売された。この1988年はLPとCDの両方の発売というかたちが続き、翌年1989年(平成元年)からLPの発売は終わった。よって1988年月組公演「恋と霧笛と銀時計」「レインボーシャワー」のLPが宝塚最後の実況録音LPということになる。こうして宝塚歌劇とレコードとの長い歴史は幕を閉じ、CDの時代に入ってゆく。

 余談だが、昭和30年代ごろはまだレコードプレーヤー、ならびにLPレコードは高価であった。昭和36年に発売された「華麗なる千拍子」の10インチLP実況録音盤の定価が1000円。(ステレオ録音は1200円)主題歌のシングル盤が300円もした。これだけだとピンとこないが、その当時の東京宝塚劇場のチケット代をみるとA席550円、B席350円、C席250円、D席120円、公演の実況録音盤がA席のほぼ倍、主題歌シングルがB席程の値段がしたことになります。現在(2002年)A席は10000円だから、今なら公演のCDを買うのに18000円ぐらい払う感覚なのだろうか? 

 昭和41年「夢を売る妖精たち」の東京宝塚のA席が1000円、その公演の実況録音LPが1800円。やはり倍ぐらいの値段である。

 昭和52年「ルピエロ」の時の東京宝塚のA席は2500円、その公演の実況録音LPは2200円。レコードのがチケットの値段より安くなっている言い換えれば昭和39年頃の12インチLPの1800円から昭和54年頃の2200円と、他の物価が倍以上に上がっているのに、15年間にレコードは400円しか上がっていない。こう見るとLPレコード発売当時の値段が他の物価に対して高かったことが理解できます。

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