グランドロマンを乗り越えて

 僕の宝塚の目当てはレビューである。豪華でネオンが輝く舞台装置の中、スピーディーに流れるショー場面、タイトル名を連呼するキャッチーな主題歌、セリからキザに登場するスター、自分にとってレビューこそが宝塚の醍醐味である。緞帳、カーテン、舞台装置、セリなどの舞台機構に興味をもった少年の頃の自分、ある日偶然宝塚に出会い、レビューこそが自分の好きな舞台をみせてくれるものだということを知ったのだ。しかし宝塚は通常<ショー物>の前に<芝居物>がある。それはまだ中学生だったレビュー少年には「余計な物」でしかなかった。まるでグリコのキャラメルの様に、そっちが本来メインの物なのだが、目的は「おまけ」の方だったのである。

 そんなレビュー少年だった僕にとって、<大作一本物公演>の時は致命傷であった。よく「グランドロマン」とかサブタイトルが付く出し物である。また悪い事に、宝塚を見出した時がちょうど<第一期ベルばらブーム>の真っ最中だったのだ。ひどい時は3ヶ月間、組替わりでベルばらが続演された時もあった。ベルばらブームの後も「風と共に去りぬ」が上演されたり、<グランドロマン>は<グランドレビュー>よりも大きな顔をして宝塚にのさばっていた。そんな訳で、僕はベルばらブームを憎んでいた。今見ると、宝塚にもっとも適してる良い作品だと思うのだが、その頃はレビューを迫害している怪物の様に思えていたのだ。

 そんな僕でも実際はそれらの舞台に足を運んでいる。矛盾しているのだが、僕はこの<グランドロマン>物を観に行くのがある意味で嫌いではなかった。大作一本物は休憩をはさんで一部と二部、上演時間正味2時間半である。その内2時間10分ぐらいが本編で、最後の約20分グランドフィナーレがある。このフィナーレが極上の快感なのであった。レビュー少年の僕は2時間10分そのつまらない芝居を我慢して観ている.....「早く終わらないかな〜早く終わらないかなあ〜」と思いながら、かったるいラブシーンを眺めているのだ。そうこうして2時間10分後、最後までジッと我慢した御褒美のごとくグランドフィナーレがはじまるのです。この時の心の開放感と申しましょうか、それは12分間サウナの中に耐えた後の水風呂のような爽快感があります。

 そんな訳で大人になった今でも演出的に、この長い芝居からフィナーレになる瞬間が大好きなんです。大作物の最後はだいたい重々しいシチュエーションの場面でして、マリーアントワネットが死刑台に登ろうとしていたり、主人公が死んだり、人生の重みを感じるようなドラマチックなシーンで幕が降ります。それが次の瞬間、まるで何ごともなかったかの様な軽快な明るい演奏で、華やかな娘役とかが出てきて、歌謡ショーのように主題歌を歌たりするこの強引さ!この乱暴なフィナーレの入り方がたまらなく好きなんです。その後も、役のイメージは多少残しつつも、主役たちが本来の宝塚スターの顔で歌ったり踊ったりするし、たぶん出番も少なく楽屋で固まってた下級生たちが、ここぞとばかり張切るロケットとか、もう終りよければ統べてよしという感じでホント満ち足りた20分なんですよ。

 ブロードウェイでミュージカル見ても、なにか物足りなさを感じたのも、劇団四季へ行く気がしないのも、この宝塚独特の「さっきまでの悲劇はウソだピョ〜ン」的なフィナーレがないからかもしれない。

 (注/レビューだけが好きだった中学生当時の自分の気持ちで書いた文章なので、決して宝塚や劇団四季の芝居を否定しているわけではないので誤解なさらないでください。)

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