浅草国際劇場

今はなき東洋一のレビュー劇場!

 銀座線田原町駅から国際通りをまっすぐ歩いて7〜8分、今の浅草ビューホテルの所に国際劇場がありあました。松竹歌劇団(SKD)のホームグランドで、年3回大踊り(東京踊り、夏のおどり、秋のおどり)が上演され、SKDの公演がない時は、有名歌手のワンマンショーがおこなわれていた。(昔は日劇か国際劇場でワンマンショーをやることが、一流歌手のステイタスであった)僕が通い始めた頃は、すでに老朽化していたが、それでも東洋一を誇った建物のツラ構えはどっしりしていた。

 舞台は一見宝塚と同じで、両側に花道、オーケストラボックスの前にエプロンステージ(宝塚で言う銀橋)がありました。しかし舞台は宝塚よりひと回り以上デカかった。(間口15間。宝塚が13間)それとエプロンステージの真中に、さらにはり出しステージがあり、でべそと呼ばれていた。アーチ型のプロセニアムに常設の赤いちょうちんがぶら下がっていて、そのへんがなんとも浅草らしかった。これだけの大劇場なのに、回り舞台や大がかりなセリもなく、フィナーレの階段も、宝塚のようなオートメーションではありませんでした。(本舞台からエプロンへかけられた渡り板の所にむりやり作ったセリがありましたが....)しかし、そんなことを感じさせないくらい、国際の舞台装置はものすごかった!

 国際のSKD公演のプログラムには、かならず舞台装置のデザイン画が載っていました。この国際劇場の舞台デザインのほとんどを手掛けたのが三林亮太郎氏である。

 「東京踊りは〜、ヨ〜イヤサ〜〜」チョン!と拆の音でパッと明かりがつくと、美しい日本の風景で始るのが定番だった。ぞくに言う「チョンパ」という演出方法です。

 和物の芝居のクライマックスで、火事や地震などで屋敷が崩れていくところを見せる「屋台崩し」も国際の名物でした。ユニバーサルスタジオのように、本当の火を使うショーが当たり前の今から見れば幼稚な気もしますが、これはこれで、けっこうスぺクタクル感がありました。外人の観光客にうけていた気がします。

 夏の踊りのフィナーレでは、かならずバックに本水を使った大滝が登場していた。だからなんだって感じもするのですが、清涼感があって、僕はこれが大好きでした。

 国際レビューの中には、かならず一景、日本の民謡、祭りのシーンがありました。これも外人観光客に受けていました。

 世界各国の民俗舞踊も定番でした。フィリピン、バリ、ブラジルなど世界の美しい風景が、国際の広い舞台にひろがって、まるで立体絵葉書のようでした。

 レビューに欠かせないのがラインダンス。SKDではアトミックガールズと呼ばれていた。毎回思考をこらした振付は楽しかった。SKDのラインダンスではよくタップシューズを履いていて、足を降ろすたびにタップの音がして迫力もありました。

 そしてSKDといえば踊りの上手い団員8名で結成されていたチーム、エイトピーチェスを忘れていはいけない。昭和31年の東京踊りからだから、ちょっとした歴史もある。大人の女性の官能的なダンスはラスベガスのレビューのようだった。これは宝塚では良くも悪くも真似できないところだった。

 なんといってもすごいのはフィナーレで、もうゴッチャゴチャ!やりすぎ!あるったけの吊りもの全部下ろしましたって感じ。このちょっと悪趣味ともいえるゴテゴテ感がたまらなくだ〜い好きでした。SKDのレビューを見たあとに宝塚を見ると、ものすごく淡泊に感じた。だから舞台装置が好きなレビュー少年の僕には、国際劇場のこのフィナーレは、もうエクスタシーの絶頂でした。こんなすごい装置は、ラスベガスにもありませんでした。 

 宝塚は、芝居物とレビューという2本立てが普通ですが、SKDはレビューのみでした。その分松竹の封切映画が同時上映されました。この「映画と実演」という興業形体は今思うと変ですが、ニューヨークにあるラジオシティーミュージックホールが封切りの映画を上映し、同時に有名なロケット(日本でいうラインダンス)をフューチャーしたショーを見せていました。これらの映画についてくるショーをアトラクションと呼んでいました。たぶん国際劇場はこれをお手本にしていたのだと思います。日劇も同じでした。僕は日曜日に一人で国際に行き、まず昼の「東京踊り」を見た後、そのまま映画を見て(運が良いと「男はつらいよ」だったりしてゴキゲンだった)その後夜の部を見て、帰りに田原町の焼そば屋に寄って帰るというのがお決まりのコースでした。SKDのレビューは一貫したテーマはなく、バラエティーショーで、日本の旅情風景、世界の民俗舞踊、ミニ時代劇、アトミックガールズのラインダンス、エイトピーチェスのセクシーなダンス、グランドフィナーレという感じでした。民謡集のあと急にバレエになったりするところが、なんともワイルドな演出でおもしろかったです。

 昔は「西の宝塚、東の松竹」と言って、レビュー合戦さながら競い合っていたようですが、宝塚のような若い女性ファンからの支持がなくなり、はとバスの観光客などでしのいでいました。僕が見始めた頃からオーケストラボックスをふさいで、テープ演奏になりました。依然人気が衰えない宝塚を意識し始めたのか、ミュージカルと2本立てにしたり、セットも上の写真のようにセンスよくなってきましたが、逆にあのゴテゴテ感がなくなり、僕はガッカリしました。昭和57年の「東京踊り」を最後に国際劇場を失ったSKDは、その後、歌舞伎座などで、公演を打ちますが、国際のような豪華なセットを組むことができず、団員も辞めていき、1996年8月、最後に残った16人が博品館劇場で公演をやりSKDの幕を下ろしました。

 何かの本で、水の江瀧子さんが「国際がレビューをダメにした」と言ってました。松竹座のような小さな劇場とちがって、お客さんとコミュニケーションがとれなくなり、個人の魅力が伝わらなくなったというのが理由だったと思います。それも一理あると思いました。しかし、こんなすごいレビュー劇場が日本にあったことを僕は改めて評価したいと思います。

 余談ですが、寅さん第21作目「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」に、当時の国際劇場の様子を見ることが出来ます。マドンナ役の木の実ナナが、SKDのスターという設定で、寅さんが、レビュー通いをします。小月冴子や春日宏美も出てきて、楽屋風景や場内の雰囲気が伝わってきます。レビューのシーンも少し見れます。(ただし、シーンによっては、舞台と関係ない音楽をはめ込んでいて、本当の良さが伝わってこないところもあります。)レンタルやさんで見つけられるでしょう。DVDもリリースされています。

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