ムラ一人旅と松あきらのスチール

 昭和51年2月22日、12才の誕生日のプレゼントとして、僕はたった一人で兵庫の宝塚まで新幹線に乗って出かけました。一人でそんな遠くに行くのは初めてだったので、すごい冒険だったんです。今思えば親もよく許してくれたと思います。一年前に母につれられて一度行った事がありましたが、その時は飛行機だったし空港からタクシーだったので、梅田駅から阪急電車に乗って行くのも初めてでした。広い梅田駅にズラ〜と並んだこげちゃ色の阪急電車は東京在住の僕には見なれない光景だった。カルチャーショックというやつですねえ。12才の僕には関西はまるで異文化だった。地名だから当たり前なのだが、車体の行先に「宝塚」と書いてあるのを見て、それだけで嬉しくなっていた。

 宝塚ファンにとってはまさに聖地のような兵庫県の宝塚、この頃は通称「ムラ」といわれている事すら知らなかった。今思うと、当時はまだ本当に温泉街の雰囲気が残っていました。駅前から花のみちに行くまでに、さびれたおみやげやさんが並んでて、実にのどかであった。そのならびに僕の足を止めた店があった。定かではないが、たしか「友の店」という名前だったような気がする。そこは宝塚の商品とファンシー雑貨を一緒に売てるちょっと変わった店だった。宝塚のスターのブロマイドやパネル、雑誌などといっしょに、アクセサリーやぬいぐるみなどを売ってた記憶がある。東京の歌劇センターとか、ふじや、柳花堂などの宝塚専門店しか知らない自分には、この個人経営の、モンチッチ人形と汀夏子のパネルが同居しているようなお店が不思議だった。その店先のウィンドーにスターのカラー四つ切りスチールが額に入って飾ってあった。見てみると、その中に古い松あきらのスチールがあった。その頃にはいっぱしの松あきらファンになっていた僕は、自分が見る前の公演のスチール、ブロマイドを探していた。<赤のバックに銀モールの装飾を背にタキシードを着た松あきら>それと同じ写真(若干ポーズは違うが)を「華麗なる宝塚」という60周年記念の3枚組のレコードに付いているパンフレットの中に載っているのを見て、僕はその写真が気に入っていた。「あれだっ!」僕は店の奥へいって、その松あきらの写真が欲しいと店員に告げた。

 あとで調べてわかった事だが、そのスチールは昭和49年1月「カルナバルドタカラヅカ」の時のスチールだということが判明した。僕がそのスチールを買い求めたのが昭和51年2月、約2年間もその店のウィンドーに飾られていたのだろう。買ってから気付いたのだが、かなり色が褪せていた。それでも古いお気に入りのスチールを手に入れる事ができて、兵庫まで来た甲斐があったと思った。嬉しくて公演の休憩時間、客席に座っている時も袋から引っぱり出して眺めていた。後ろに座っているおねえさんが「松あきらのファンなんだわ.....フフッ」と言うのが聞こえてきた。中学生の男の子が一人で観にきているのが目立ってたのかもしれない。

 チケットはなぜか柳花堂のおじさんに予約してもらった。いわば宝塚の同業者関係の伝手だから、さぞ良い席がとれるだろうと期待していたら3階の<は>の18番だった。「せっかく関西まで来たのに」とちょっとがっかりしたが、今思うば、ちょうどベルばらを上演した後の公演で、榛名由利、安奈淳が主演だからチケットがとれただけ良かったのかもしれない。

 公演は「あかねさす紫の花」と「ビューティフルピープル」。ショーが目当ての僕は「あかねさす..」の方は全然覚えていない。(もったいない、せっかく東京に来なかった初演なのに)「ビューティフル...」の方は真剣に見ていた覚えがある。ショーの中詰めで松あきらが羽根をしょって銀橋へ出て来る場面があって、それが嬉しくて良く覚えている。

 公演が終わり、歌劇せんべいを買って、阪急電車で梅田まで戻る。日も暮れてさすがにちょっと心細い。夕方の梅田はラッシュでごった返していた。新大阪へ行く為のホームがわからなくて、通りがかりのおじさんに道を訪ねた。別れ際にそのおじさんが「気をつけていき〜や〜」と言ったその関西弁がなぜか今でも耳に残っている。それまで恐いイメージがあった関西弁に、初めてやさしさを感じたからだと思う。

 東京駅に着いたのが夜11時頃。駅でおまわりさんに呼び止められた。未成年だから無理もない。親の許可をもらって一人で関西まで宝塚見に行った帰りだと説明した。たしか交番から親に電話をさせられた。おまわりさんからしたら、ちょっとブキミな少年である。

 こうして僕のムラ一人旅は終わるのであるが、話しはまだつづく。(長くてスミマセン!)問題は例の松あきらのスチール。色が褪せているので、きれいなプリントのが欲しくなってきた。その頃僕は、ふじやプロマイド店で気に入ったブロマイドを4つ切りパネルにしてもらう特注をよく頼んでいました。僕はおじさんに頼んで、その大事なスチールを業者に渡して、同じ物を新たに焼きまわしができないか頼んでもらった。1週間後ぐらいにスチールが戻ってきて、できないと言われ、かなりがっかりした。業者なら古いネガもちゃんと残っていると期待したのだが、公演ごとに新版が発行されるブロマイド、たぶんすごい量なので、ある期間が過ぎたら廃棄するか、あってもそんなオタクなファンのわがままの為に、いちいち同じネガを探すなんてする暇がなかったのかもしれない。

 今でもこのスチールが一番好きです。色は褪せてるけど、これを見ると、今は無いあのファンシーグッツのお店、松あきらの羽根、「気をつけていき〜や〜」のおじさんの関西弁、東京駅で補導された事.........あのムラ一人旅の思い出が蘇ります。

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