スターの大部屋

 一組70〜80人からなる宝塚でその頂点に立つのはとても大変な事だと思う。トップスターになれる枠は4つ(今は5組あるので5つだが)。実力や人気があっても、その枠に入り込めなかったスターは沢山います。宝塚がその歴史を振返られる時、それぞれの時代を誰がトップスターだったかで語られ、機会がある事に彼女達の功績が讃えられる。しかし2番手以降のスター達の名前が登場することは極めて少ない。ヘタしたらその存在すらもなかったかのようである。しかし宝塚ファンのすべてがトップスターだけを応援していたわけではないはず。2番手、3番手、もしくはもっと下級生の中でも自分の心を掴んで魅了してくれたスターがいたりします。そんな普段語られる事がないけど宝塚の舞台に輝いていたスターたちの魅力をここに書き溜めてゆきたいと思います。

 ここのスターさんたちは、自分が宝塚を見る前の方たちがほとんどなので、現役時代を御覧になっている方の思い出や記憶が頼りです。どうかみなさまの思い出をお寄せください。こちらに掲載させていただきます。メールか掲示板に「スターの大部屋/○○○○(スターの名前)」と書き、そのスターさんについて御存知の事、また記述の間違いなどを御指摘ください。お待ちしております。またこれからどんどんスターさんも増やしてゆきます。オーナー松。

shinichi226@yahoo.co.jp

千波淳

初舞台 昭和30年4月「春の踊り」

愛称 ジュン、ヤッコ

退団 昭和44年6月29日付

最後の舞台 昭和44年5月新宿コマ月組「嵐が丘」

 古城都と八汐路まりといっしょに写っている「ハイ・ブライト」のレコードジャケットでこのスターさんの存在を知りました。「ウエストサイド物語」でベルナルドを演じてますが、なぜか東京公演では叶八千予に変わっている。(オーナー松、2005/3/28)

 私の記憶に誤りがなければ、ダンスが素敵な男役さんだったと思います。確か、3姉妹で、千波静さんと千波薫さんがいらっしゃいました。3人ともとっても素敵な男役さんで人気があったと思います。(浅草っこさんより、2005/3/28)

牧美沙緒

初舞台 昭和35年4月「春の踊り」

愛称 コンちゃん

退団 昭和47年4月30日付

最後の公演 昭和47年3月東京星組「ノバ・ボサ・ノバ」

 自分が牧美沙緒の存在を知ったのは「サンライズアゲイン」というレコードを買った時です。もちろん自分はこの舞台を見ていないのですが、ジャケットに郷ちぐさと汀夏子といっしょに載っていました。現役後半の方は声楽専科にいて各組のショーの方に特出していたようです。「ノバ・ボサ」で物売りのマールをやってますね。(オーナー松、2005/3/28)

 牧美紗緒さんも舞台たくさん観ていたはずなのに歌の方だったのか、ダンスの方だったのか芝居の方だったのか思い出せないのですが・・・。でも、いい役をたくさんやっていらっしゃった記憶はあるのです。(浅草っこさんより、2005/3/28)

 牧美佐緒さん、南原美佐緒さんはよくは知りませんが、2番手でトップ候補だったそうですね。1970年に大掛かりな組替えで「トップスター」の若返りをしたのを機にお二人は専科入りしたと何かで読みました。これって、先般の2番手スターの専科入りと同じようなケースですね。(Osamuさんより、2005/3/30)

安芸ひろみ

初舞台 昭和36年4月 「春の踊り」

愛称 タオちゃん

退団 昭和42年8月30日付

最後の公演 昭和42年7月東京雪組「ラブ・ラブ・ラブ」

 資料を見る限り雪組の若手ホープの一人だったようです。僕は動いた映像を見た事がありませんが、明るい笑顔がステキで、きっと舞台で見つけると嬉しいスターさんだったんじゃないかと想像します。最初は安芸を「あき」と読めず「やすげい」と思っていました。(オーナー松、2005/3/28)

 タオちゃんですよね。甘い華やかな雰囲気の、とっても美人の方で男役さんだったのですが、時には娘役もなさっていました。確か、惜しまれつつご結婚で辞められたような覚えがあるのですが・・・。(浅草っこさんより、2005/3/28)

亜矢ゆたか

初舞台 昭和36年4月 「春の踊り」

愛称 ベーボ、アヤちゃん

退団 昭和47年5月31日付

最後の舞台 昭和47年5月大劇場花組「ザ・フラワー」

 資料ではダンスの得意なスターさんだったようです。花組から雪組へ、そしてまた花組に移動。スータンと「深川」を踊っているようです。(オーナー松、2005/3/28)

 亜矢ゆたかさんも懐かしいです。スータンさんとの深川、お二人で浴衣姿で粋に踊られて、子供心にも、わくわくして観ていました。とっても素敵な方でしたよ。(浅草っこさんより、2005/3/28)

南原美佐保

初舞台 昭和37年4月「メイドインニッポン」

愛称 ケコちゃん

退団 昭和46年6月29日付

最後の公演 新宿コマ6月月組「タイムマップ」

 とにかく歌の上手な方というイメージがあります。「タイムマップ」他、レコードで彼女の歌を聞く事ができます。もう一人の歌の上手なスター上月晃の存在にちょっと隠されてしまった感があります。もっと役に恵まれてもいいスターさんだったんじゃないでしょうか?現在でもお元気で歌っていらっしゃるようです。(オーナー松、2005/3/28)

 ケコさん、男役さんとしては、声が高めな明るい雰囲気のスターさんでした。私個人的には、ゴンちゃんのほうが断然素敵でゴンチャンばかり観ていた思いでがあります。(浅草っこさんより、2005/3/28)

薫邦子

初舞台 昭和37年4月「メイドインニッポン」

愛称 アキちゃん

退団 昭和47年11月27日付

最後の公演 昭和47年11月東京花組「ポップ・ニュース」

 このスターさんも2番手のようなポジションまでたどりついていながら、決定打になるような役がないまま退団されてしまったように見受けます。写真を見る限りでも親しみやすい明るい雰囲気が感じられます。(オーナー松、2005/3/28)

 アキちゃんも、いろいろ観たような記憶があるのですが、どんな作品でどんな役をやっていたんだろう・・・?やっぱり思い出せないのです。(浅草っこさんより、2005/3/28)

水はやみ

初舞台 昭和37年4月「メイドインニッポン」

愛称 メガン

退団 昭和48年6月29日付

最後の公演 昭和48年5月大劇場花組「ララ・ファンタシーク」

 自分が見る前に退団されていたので舞台は拝見していませんが、ブロマイドなどを見るとSKDの千羽ちどりに雰囲気が似ていてずっと気になっていました。「パレード・タカラヅカ」の実況録音盤で歌だけ聞いていました。昔の資料を見ているうちに、やはり歌が得意なスターさんだったことが判明。退団理由は存じてませんが、当時トップの甲にしきと売り出し中の松あきらと瀬戸内美八の間に挟まれた彼女の位置付けが、トップの大浦みずきと下の安寿ミラと真矢みきに挟まれた朝香じゅんとダブってしまいます。(オーナー松、2005/3/28)

 メガンさんは、千羽さんとはあまり似ていないと思いますよ。お耳が立ち耳で大きくて、背も男役さんとしてはそんなに高くない方でした。歌がなんともお上手でした。ちりめんビブラートだったですが、伸びがあって、独特の素敵な歌声でした。月組のショーでなんという作品だったか・・・♪白い君も黒い君もみんな同じ色に染めてぴぴぴ・・・・♪という歌詞の歌最高だったのです。よみがえってきます。メガンさんの歌はほかにもすばらしい歌がたくさんありました。(浅草っこさんより、2005/3/28)

 私がタカラヅカを観るきっかけになったのが水はやみさんなんです。というのは、私の母が水さんのお母様にお琴を習っていたんです。水さんのお母様がお琴の師範で、水さんも名取りのはずです。ある日、母がお稽古から帰宅し、「今からテレビにお琴の先生のお嬢さんがテレビに出るのよ」って言ってテレビをつけたら「ザ・タカラヅカ」という番組でした。真帆志ぶきさん、司このみさんが一緒に出演されていました。小学校1年生の時で、綺麗だったという印象が残り、母が「一度、生の舞台を観せよう」という事でそれから現在まで観続けています。「宝塚名曲選「パレード・タカラヅカ」でした。1973年1月6日でした。勿論、水さんが出演されていました。先日、東宝劇場で宙組公演を観て来ましたが「レビュー伝説」は32年前の事を思い出しました。それから、水さんの退団は結婚退団です。確か、お相手は東宝の関係者だった様な・・・・・・退団される時、母は水さんのお母様から水はやみさんの名前の入った手鏡を頂いていました。「パレードタカラヅカ」は内海重典先生が亡くなられた後、追悼記念で先生の作品の主題歌集を集めた「ファインロマンス」にプロローグの実況盤が収録されています。甲にしきさんの台詞に始まり、水さん瀬戸内さん、松さん、笹潤子さん、銀あけみさん、上原まりさんの歌声も入っています。(Osamuさんより、2005/3/30)

清はるみ

初舞台 昭和37年4月「メイドインニッポン」

愛称 イワシちゃん

退団 昭和45年12月30日付

最後の舞台 昭和45年11月東京月組「青春のプレリュード」

 「オクラホマ」のウィル・パーカー、「ウエストサイド物語」のリフなど役にはわりと恵まれていたスターさんではないでしょうか?個人的には写真でしか見た事がありませんが、自分が大好きだった松あきらと顔が似ているので気になる存在でした。名前は「すが」と読むんですね。(オーナー松、2005/3/28)

 イワシちゃん。私ファンだったのです。「オクラホマ」とか「ウエストサイド物語」を観て大ファンになり、出待ちとか入り待ちもした記憶があります。舞台では、男っぽい役が多かったですが、オフのイワシちゃんは、やさしい女性らしい方だったと記憶しています。(浅草っこさんより、2005/3/28)

風さやか

初舞台 昭和37年4月「メイドインニッポン」

愛称 フジちゃん、トンコ

退団 昭和44年9月29日付

最後の舞台 昭和44年8月東京雪組「回転木馬」?

 昭和44年11月号の歌劇誌をみると、退団の挨拶文が載っていて、どうやら御病気でやむを得ず退団されたようです。なので最後の舞台で緑の袴姿で退団の挨拶もできなかったみたいです。「回転木馬」のジガ−という役をやっています。(オーナー松、2005/3/28)

 個性的な男役さんだったです。一時この方のファンだったこともありました。確か、妹さんが、風かおるさんと言って、お姉さんとはまるでタイプが違う、丸顔で愛嬌のあるようなお顔の生徒さんでした。(浅草っこさんより、2005/3/28)

景千舟

初舞台 昭和41年4月「日本の四季」

愛称 マコ、マーコ

退団 昭和47年12月30日付

最後の公演 昭和47年12月大劇場合同「シャイニング・ナウ」

 松あきら、常花代と同期で、レインボートリオとして売り出した。「ノバ・ボサ・ノバ」でルーア神父をやっている。ソロでシングル盤を何枚か出している。(オーナー松、2005/3/28)

 マーコさんもファンだったのです。まっちゃんとノベちゃんとトリオで売り出したのですよね。マーコさんは、日舞の方でした。男役で粋に踊る日舞はかっこよかったです。(浅草っこさんより、2005/3/28)

常花代

初舞台 昭和41年4月「日本の四季」

愛称 ノベ

退団 昭和56年3月31日付

最後の公演 昭和56年3月東京雪組「青き薔薇の軍神」

 やっとココにきて、自分が現役時代を知ってるスターになりました。ちょっと地味な感じのスターさんでしたが、温かい雰囲気があって好きでした。「ノン・ノン・ノン」のオクロックがほのぼのとして可愛かったです。汀夏子、麻実れいという大型スターの下で、尚すみれと同じようなポジションで活躍していました。(オーナー松、2005/3/28)

 ノベチャンは、男役さんとしては線がちょっと細いけど、きれいな素敵なスターさんでした。確か、元横綱の常の花のお孫さんでしたよね。今でも、大相撲の東京場所のときなど国技館の相撲茶屋の、14番だったか・・・に座っていらっしゃいますよ。相変わらずおきれいです。(浅草っこさんより、2005/3/28)

 常花代さんも懐かしく、いい思い出があります。これも「ザ・タカラヅカ」に関係あります。公開録画観に行ったんです。1部と2部の構成で、その間に休憩があったんです、2部が始まる前に一緒に観に行った兄が「はい、これ」って一枚の便箋をくれたんです。それは「オサム君へ、常花代」と書いたサインだったんです。1部のみの出演の常さんが出番を終えて帰られる所を、偶然、兄が見つけて『すみません、弟がタカラヅカのファンなんで「サインをくれますか」』って頼んだら、「いいよ、お名前は?」と尋ねられ「おさむ」っといって、サインをくれたそうです。昨今のFCのガードの固さはなく、気さくにサインをくれた良き時代だったんですね。今も、そのサインは実家にあります。(Osamuさんより、2005/3/30)


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