おもしろスクラップ

 歌劇誌昭和39年12月号の見開きグラビアから。右が内重のぼる、左が上月晃である。たぶん宝塚ファミリーランド内の売店の前で撮影されたものだと思います。コレクターの自分にとっては、後ろのブロマイドが宝の山に見えてしょうがない。やっぱりタイムマシーンが欲しい。

 イッタイドンナキッサテンダッタノデショウカ?タカラヅカファンガ、ハンサムボーイヲメアテニ、オチャシニイクトハ、オモエマセン。「歌劇ノフンイキヲソノママサイゲン」ッテドンナナイソウ?ダイイチ、ナンデブンショウガカタカナナノ?(大劇場の「脚本と配役」に1968年11月から1970年5月頃まで載っている。その後つぶれたのだろうか?)

 「宝塚友の会々員の座席申込みは4月10日に締切り総計五万名。警察官立合いにより、抽選で3850名の方に決まりました。」第9回宝塚ミラーボール「虹のカーニバル」<歌劇・宝塚グラフ愛読者大会>が1977年5月26〜28日におこなわれたのですが、何も警察官を立合わせることないでしょ!もしかしたら阪急の社員に警官の制服着せて立たせているだけかもしれない。でも当時はベルブームの後で安奈、榛名、汀、鳳が揃うとなれば、そりゃすごい価値があるチケットだったことが想像できます。今だったらネットオークションで10万とか値段がついたりするんでしょうねえ。左から2番目のおねえさんは、ちゃんと見ないよう後ろを向いて選んでいる。それとも写真を撮られたくなかったのか?それより僕は壁にある安奈淳のパネルが欲しい!(あれは「ゴールデンサウンド」の時のスチールだ)警察官の頭で見えないが隣は榛名由利に間違いない。抽選は2時20分頃だったようだ。時計の下になぜ湯沸かし器がある。今のキャトルレーブから考えると実に庶民的。(月刊宝塚だより1977年6月号より)

 昭和33年7月号の宝塚グラフの中で見つけたトリスコンクジュースの広告です。『「このジュースには8ミリカメラが当る抽せん券がいつてるんですってね。あたし、自分で脚本書いてホームシネマの傑作をとってみたいと思ってるの」顔をあわせるなりオソノさんはこうおっしゃいました。8ミリの魅力たるや大したもの。滑走路では銀翼を震わせて日航機が飛びたっていきます。ー伊丹飛行場にてー』と書いてあります。オソノとは藤里美保のこと。しかしなんでこんなところにテーブル出してジュースなんか飲んでるのだろう?当時は飛行場の滑走路の横でピクニックなどしていたのだろうか?それとも藤里美保のファンは常に椅子とテーブルを運んでいて、オソノさんが「疲れたわ」と言うと、どこでもサッと椅子とテーブルをセットしていたのかもしれません。

 宝塚グラフ昭和43年9月号の中のグラビア。姫由美子(左)と如月美和子である。興味があるのはお二人が居るこの当時の大劇場の売店。プロマイドとレコードがズラーリと並んでいて、この写真の中へ入って行きたい!手をのばせばゴンちゃんのブロマイドがとれそう.....ヅカコレクターにはたまらない光景です。

 旧東京宝塚劇場の地下にあった宝塚歌劇センターも今となっては懐かしい。主に二つの部屋に別れていて右側が宝塚友の会のカウンター、左がブロマイドなどの出版物を販売しているところでした。なぜか店員さんたちはあいそうがなく、まるで公務員のようで、柳花堂やふじやのおじさんたちのような気さくさはありませんでした。友の会のカウンターの横に毎公演ごとの舞台写真を販売していましたが白黒であまり写りのよい物ではなかったです。この歌劇センターの役割はキャトルレーブにとって変わりました。(宝塚グラフ1969年6月号より)

 森永ハィクラウンチョコレートの景品に那智わたるの大型ポスターがもらえるという広告です。「このチャンスを逃したらもう永遠にマルさんは手に入りません。」という一種脅迫めいたキャッチフレーズがすごい。ちょっとオシャレな写真だが手にはしっかり自社の製品を手に持たせている。マルさんファンはポスター欲しさにハィクラウン食べ過ぎてデブになっっちゃたりしたのだろうか?(歌劇1967年7月号より)

 (1965年6月号の歌劇より)「昨年も壁面などを改装いたしましたが、こんどは出版物陳列ケースを増設したり、宝塚友の会受付用カウンターを新設するなど、すっかり面目を一新しました。」と書いてある。新設しても店員は相変わらず郵便局の人みたいである。

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