安奈淳の一番せわしなかった年

 昭和49年、宝塚歌劇は60周年を迎えていた。それまで星組で鳳蘭と大原ますみといっしょにゴールデンコンビとして活躍していた安奈淳は、この年ほとんど他組にゲスト出演させられていた。歌劇団は全体のバランスをとる為毎年組替えをするが、この年の安奈淳の扱いはちょっとおもしろいのでさぐってみましょう。

 昭和49年安奈淳の最初の公演は3月雪組への特別出演であった。ショー「ロマンロマンチック」の方だけの出演で、汀夏子と競演。ショーのある場面では安奈は女役にもなったりしている。ステージアルバムなどを見る限りでは、この二人のコンビはまんざら悪くなかったのではないかと思える。実際この年にもう一度安奈を雪組のショー「インスピレーション」に出演させているので、歌劇団も安奈の雪組配属を考えていたのかもしれない。ただしこの時も安奈はショーだけの出演で、雑誌「歌劇」の高声低声では,安奈ファンが古巣である星組で鳳蘭との舞台が見れない不満の声もでている。

 さて、この年の1月、花組のトップスターだった甲にしきが退団。その下にいたのが瀬戸内美八と松あきらであった。名目上次はこの二人が複数トップということになる。しかし二人が組を背負って立つには、実力、人気ともまだちょっと弱かったのだろうと察する。次の花組は5月、星組と合同公演の「虞美人」だったので、主役の羽項を安奈淳がやり、虞美人を松あきらがやった。なんか安奈は星組生徒として出演しているのか、花組にゲスト出演なのかすごく曖昧な感じで、花組でトップを飾ると思われた瀬戸内、松ファンは合同公演という名目で、ごまかされたような気がしたのではないだろうか?

 「虞美人」の後すぐ雪組6月公演のショー「インスピレーション」に出演。という事は「虞美人」の舞台に出演しながら、翌月の公演の稽古をこなしていた事になる。6月の「インスピレーション」が終わるとすぐ東京に移動して7月「虞美人」、8月「インスピレーション」ということになる。気持ちの切り替えがかなり大変だったのではないだろうか?

 10月に花組のグランドショー「アンドウトロア」にゲスト出演する。またまたショーのみの出演だが、今度は瀬戸内、松を両脇に従え完全にトップスター扱いでした。これで安奈淳の居場所が決定した感じ。翌年1月の東京公演では正式に花組トップとして登場。一人でプログラムの表紙を飾りました。この後、花組に榛名由利が来て安奈とダブルトップになり「ベルばら」上演になる。松あきらはその二人の下の2番手としてそのまま花組に、瀬戸内美八はこの後月組で2番手として落ち着きます。

 大劇場のプログラムは松あきらと瀬戸内美八が表紙を飾り、特出扱いの安奈淳は中のカラーグラビアに載っていた。しかし東京公演の時は正式に花組のトップスターとして出演したので、安奈淳が表紙を飾り、中のグラビアに松と瀬戸内が載った。

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