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昭和40〜50年代の東京の宝塚ファンは年に1度は新宿コマ劇場へ通うことになっていた。宝塚歌劇の公演が年に一公演はコマ劇場で上演されていたのである。宝塚には東京公演をおこなう為に建てられた日比谷の「東京宝塚劇場」があるのだが、なぜか年の半分は長谷川一夫の東宝歌舞伎などの出し物に使われていた。今でこそ東京も通年公演になったが、自分が見始めた昭和50年代頃は年6公演しか上京してこなかった。大劇場では年8公演あるわけだから、東京に来ない作品もあり、ひどい時は自分の御贔屓の組が年に 1回しかこないという状況もあった。そんな数少ない東京公演の内、さらに一公演は新宿コマ劇場での上演だったのだ。この辺の事情はまだよく解明していません。
新宿コマ劇場がオープンする4〜5ヶ月前、1956年12月に梅田コマ劇場が開場した。宝塚の生みの親でもある故小林一三氏が、情熱を燃やし、新しい理想から作り上げた円形舞台の劇場であった。従来の額縁舞台ではなく、立体的なステージ、デコレーションケーキの様に3段にセリ上がり廻る舞台。当時としてはとても画期的なステージだったに違いない。翌1957年4月、新宿歌舞伎町に、新宿コマ劇場が一歩遅れてオープン。(新宿コマのオープンには間に合わず、小林一三は他界してしまった)コマミュージカルチームもでき、当時の東宝系列のスターがこぞって主演し、初期の頃は独自のショーやミュージカルなどを上演していたようだ。しかし自分が通い初めた頃は、すでに北島三郎のような大物演歌歌手のお芝居とショーを見せる劇場というイメージしかなかった。
そんなコマ劇場での宝塚公演、大劇場で上演された作品を東京へ持ってくるのだが、大劇場とはサイズも機構もぜんぜん違う舞台、いろいろ手直しが必要であった。まず舞台の広さが全然違う。コマのが小さい。舞台装置も縮小しなくてはならなかったはず。それに大階段がないので、通常のフィナーレのような階段パレードはできなかった。銀橋もないのでそこも動きが変わった。それと歌謡ショーのように舞台にバンドが乗る場合以外はコマ劇場はだいたいテープであった。もうこれはある意味で地方公演状態である。またジェンヌもファンも、夜になると柄の悪い歌舞伎町を歩くのをとてもいやがっていた。
一説には、コマ劇場で公演をやるのは、従来の宝塚ファン以外の一般の人に宝塚を見てもらうチャンスを作る為だったという話しを聞いた事があるが、東京宝塚で上演するのと、どれほど違いがあったのか疑問に思ってしまう。だが個人的には、一度コマ劇場へ行ってみたくて、その時たまたまやっていたのが宝塚で、以来こんなにハマってしまったのだから、まんざら無意味とも言い切れない。昭和39年1月に最初の宝塚歌劇の新宿コマ公演がおこなわれ、昭和56年10月の月組公演まで通算21公演がコマでおこなわれた。
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