SKDの公演形態について

 戦前は宝塚と同じようなストーリーのあるミュージカルやオペレッタを上演していたようだが、レビュー公演が定着した戦後は、毎年「東京踊り」「夏のおどり」「秋の踊り」という「三大踊り」と呼ばれる興行形態を通していた。それぞれ約2ヶ月から3ヶ月ロングランされた。タイトルは毎年同じで内容は毎回違うのだが、「東京踊り」では「屋台崩し」が、「夏のおどり」ではフィナーレで本水を使った大滝が登場するというように、一種のパターンはあった。映画「男はつらいよ」で、さくらが「もう東京踊りの季節なのねえ」と言うように、一種の風物詩にもなっていた感がある。昭和50年代頃に、その三大踊りを説明した案内所があるので、ここに掲載します。

 時の流れを追って日々に変容する東京。しかし、その中にあって、浅草は昔ながらの四季折々の情緒を今に伝えております。その浅草の一角に聳え立つ、レビューの殿堂「国際劇場」。東洋一のスケール(収容人員3.300名)を誇るこの劇場の舞台に、松竹歌劇団(SKD)が繰り広げる豪華絢爛バラエティ豊かなショウの数々は、我々日本人ばかりでなく、遠く海外からの観光客にもよく知られ、今や東京名物の一つとして欠かせない存在となっております。1928年に創立された松竹歌劇団(SKD)は、現在、松竹音楽舞踊学校を卒業した女性のみで構成される団員200名を擁し、「国際劇場」を本拠地として、毎年「東京踊り」「夏のおどり」「秋の踊り」の三大踊りを定期的に公演しております。  華やかな春に先駆け開幕される「東京踊り」は、日本で唯一のロングラン公演として、SKD三大踊りの中でも最大な規模と充実した内容を誇っております。ワイドな舞台いっぱいに展開される若さあふれるダイナミックな美の躍動、その中でも近代的な舞台機構をフルに活用した国際劇場独自の屋台崩しは、他に例のない迫真力をもって、観る人々の心を捉えます。「花の雲 鐘は上野か浅草か」と古句にも謳われた春の一刻、「東京踊り」のデラックスなムードに酔うのもひとしおでありましょう。 

 灼熱の太陽がギラギラと輝く若さの季節。ステージ狭しと繰りひろげられる水の饗宴。毎分60トンの本水を惜し気もなく奔流される大滝や噴水。涼味溢れる舞台をバックに歌い、踊りまくるダンサー達......毎年この間に上演される「夏のおどり」は夏の不快感を忘れさせ、憩いのオアシスとして、特に名高いショウであります。劇場の外には、浅草観音、境内の五重塔、そして植木市、ほうずき市などの催しもあり、江戸の夏の詩情を残した風が快く吹いてまいります。 稔りの秋、夢多き青春を謳歌してSKDが歌い、踊ります。「秋の踊り」は毎年9月下旬に幕を開け、12月初旬まで、歌舞伎舞踊、日本の郷土芸能を中心にした民謡集、またモダンダンスからクラシック・バレエに至る多彩なレパートリーを繰りひろげる東京の秋を飾る一大絵巻です。菊の香り、その陽光に映える紅葉のあでやかさ、豪華な内に繊細を秘めたステージが現出されます。そして「秋の踊り」がその幕を閉じると、大都市東京は慌しい年の暮を迎えるのです。

 昭和26年(1951年)1月に「第1回歌舞伎おどり」が上演された。以後「東京踊り」「夏のおどり」「秋の踊り」に並ぶ4大踊りとして「和物中心の内容のレビュー」が毎年上演された。昭和28年(1953年)「第3回歌舞伎おどり」で副題として「春の踊り」とつけられ、以後、歌舞伎に関係ある内容から、幅を広げる為に第4回からは「春のおどり」と完全に改題される。この「春の踊り」は昭和40年(1965年)の「第15回」まで続いたが、その予算とエネルギーを「東京踊り」の方に注ぎ、その分「東京踊り」のスケールを大きくすると告知されている。

 SKDのレビューは、バラエティーショー形式で、フランスのリドやラスベガスのショーと似ていて、一貫したストーリーはなく、華やかなオープニング/民族舞踊/バレエ/ラインダンス/民謡集/グランドフィナーレと、テンポよく続き、それらは「景」とよばれ、だいたい一つの公演が20〜25景でまとめられている。一公演だいたい90分。宝塚が芝居とショーの2本立で休憩を入れて3時間に対し、国際劇場はSKDのレビューといっしょに、松竹映画の封切作品を上映していた。この「映画と実演」という興行形態はニューヨークのRadio City Music Hallを模範にしていたのだと察します。2回公演の時は朝10時ぐらいから(映画→休憩→レビュー→休憩→映画→休憩→レビュー)という流れになります。自分が見ていた頃は、たしか記憶では入れ替えをしていなかったので、昼のレビューを見て、そのまま映画を流し見して、夜の部も見て、田原町の焼そば屋に寄って帰るのがパターンであった。昭和50年代に宝塚が「ベルサイユのばら」で大成功していた頃、SKDは伸び悩んでいました。そこで宝塚と同じように、芝居とレビューという形態にチャレンジ。戦前に水の江瀧子が得意としたスパニッシュ物で行こうと「カルメン」と「東京踊り」という形態をとるが失敗。その後も「銀河鉄道999」や「火の鳥」などを上演するが、従来のSKDレビューファンには退屈でしかなく、ミュージカル好きにはチャチな代物でしかなかった。こうしてSKDと、もう一つのレビューの殿堂、日劇は、一番苦しい時代を乗り越えられず、宝塚のみを残し衰退の方へ向かっていってしまったのは悔しい限りです。

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