★レビュー少年誕生★

 自分は父親がコメディアン、母親がモダンバレエの先生という家庭に生まれました幼少の頃はいつも母が教えている稽古場で遊んでいて、物心が付いた時には、踊りとか舞台というものが身近にあった。その頃母は大きな幼稚園のホールで教えていた。そこには学芸会用の舞台があって、紐を引っ張ると開閉する幕があった。それを開け閉めする事を覚えた自分はというモノが好きになり、劇場などに行くと、その内容よりも緞帳が開いたり閉ったりするのを見る方が楽しみな<緞帳つう>になっていた。そんな僕にお父さんは木で小さな劇場の模型を作ってくれました。そこに自分の好きなタオルや布を垂らしては緞帳開け閉めゴッコを堪能していました。やがてボール紙などでセットを作ったりして、舞台装置に興味を持つようになる。

 緞帳、装置オタクの息子に、お母さんは僕が小学6年生の時、新宿コマ劇場の話をした。そこには3段になるまわり舞台があって、赤い半円型の絞り緞帳がある事を教えてくれた。僕はその劇場が見たくて、何でもいいから連れていってくれとたのんだ。その時ちょうど上演していたのが宝塚歌劇だった。これがマズかった。ハマったのだ。コマ劇場の舞台機構を見れた喜びと共に、レビューという豪華な装置と衣装と踊りがみれる舞台芸術に出会ってしまったのだ。母のモダンバレエの稽古場で育った僕は、この宝塚のケバイお姉さん達をなんの抵抗感もなく受け入れてしまった。帰りにロビーで、その公演の実況録音のLPレコードも買ってもらった。プログラムを見て、僕はこの「変な名前の男のふりをしたスター」になぜか引き込まれてゆく。やがて僕は小学6年で日劇、SKDも鑑賞する一人前のレビュー少年になってしまった。

 12歳の誕生日の時、一人で新幹線に乗って兵庫まで宝塚を見に行ったこともある。(詳しくは<ムラ一人旅と松あきらのスチール>で)その頃学校で趣味の合う友だちはいなかった。(なぜか僕のまわりの女子にもヅカファンはいなかった。)中学生になっても、お父さんが作ってくれた劇場模型で遊んでいました。グレードアップして豆電球の照明がついて、鉄道模型のトランスを調光機にして明りのフェイドイン、フェイドアウトなどもできるようになった。大階段やいろんな装置を沢山作って、宝塚の実況録音盤のレコードに合わせて場面転換を楽しんでいたのだ。蛍光灯を消した暗い部屋に一人で隠り、宝塚のレコードをガンガン鳴らしながら豆電球が並んだ小さな箱に、ボール紙で作った装置を転換して遊んでいる中学生は,今思うと我ながらかなりブキミだったと思う。

 その劇場模型は僕にとって、お父さんが僕に作ってくれた思い出の品なので、今でも大切に保管していますが、適当にこしらえた物なので、回り舞台やセリがないし寸法も小さくて物足りなさを感じはじめていました。今さら劇場ゴッコもないのですが、ある日マがさしたと申しましょうか、急に僕の中のレビュー少年の血が騒ぎ出して、ちゃんとした模型を作りたい衝動にかられてしまいました。「大劇場ものがたり」という本に載っていた実際の舞台図面を拡大コピーしてきて、回り舞台もセリもある模型を作りはじめました。まだ銀橋部分ができていません。仕事が忙しくてなかなか完成しませんが、少しづつ作っていこうと思っています。こけら落としは何になるやら?

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